13『苦労人』



 苦労は報われるとは限らない。
 むしろ、報われない事の方が多い。
 その苦労は無駄となり、人はそれを恐れ、苦労を厭う。

 報われなければ、その苦労は無駄なのだろうか。

 それは違う。
 苦労する事そのものは決してその人のマイナスにはならない。

 苦労人よ、誇るがいい。
 自分を信じ、その為に苦労を全うする事が出来たのだから。



 ふう、とファルガールはため息をつき、カルの瓶の蓋を閉めた。昨日は不覚を取ったが、今日はそういう訳には行かない。

「待たせたようだね、ファルガール」と、そこに現れたのはオキナだった。

「いいや、丁度良かった。今、月見酒に飽きたところだ」と、瓶を振ってみせる。
「月見酒か……」オキナは、ファルガールの隣に腰掛けると、星空に鎮座する三日月を仰いだ。「果たして旨かったのかな?」
「いや、大して」

 ファルガールの答えに、オキナは微笑んで頷く。

「だろうね。一人で飲む酒の旨かろうはずはない」

 そして一冊の新しいノートをファルガールに渡した。

「このファトルエルでは水は不足しない。地下に泉が湧いているからだ。それは君も知っているね?」

 ファルガールは頷いた。

「で、地質学的に見ると、ここに水が湧くのは可笑しいとされてるんだろ。この街の周りを調べても全く水脈がねぇんだから」

「私の記憶が正しければ、あれは十七年前だ。大陸の最南端にあるヴァクス山で噴火が起きた。しかしヴァクス山はくしゃみをしただけだったかのようにたった一度の爆発で静まり返ってしまった。
 不思議な事に、それ以来ヴァクス山は休火山になってしまったのだよ。それから噴火が静まった後、山の麓で一つの赤く光り輝く大きな石が見付かった。その街の学者達はすぐにこの石が降って来た事と、その事実の因果関係に気付いた。
 その麓でがヴァクス山を火山たらしめていたのではないか、とね。
 その後の調べで、ヴァクス山は休火山どころか、ただの山になってしまったと判明した。元々、ヴァクス山は火山なのではなく、その赤い石によって火山になっていたのだよ。
 その石は『星の産物』という意味で“ラスファクト”と名付けられ、その発見に世界は大騒ぎになって、直ちに候補を挙げて各地で調査の手が入れられ、そのうちのいくつかで“ラスファクト”と思われる物体が発見された。
 ファトルエルの地下オアシスもこの時挙げられ、今も私を含めるいくらかの学者達の調査されている。
 思えば十五年前、神秘に溢れるこの星の産物に惹かれつつも、後込みしていた私の背中を押したのはファトルエルの大会に参加しに来ていた君だった」

 二人の脳裏に共通して蘇るのは十五年前のこの場所だった。


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 あの日もこのような月の夜だった。
 やはりこの場所に来てぼうっと、月を眺めていたオキナは自分の背後に人がいる事に気がついた。

「君はうちの宿の客だったね。確かファルガール君と言ったか。君は大会に参加するのだろう? こんな夜遅くに起きてても大丈夫なのかな?」
「下見をしとこうと思ってよ。俺が決勝を闘う事になる舞台をな」

 そう答えたファルガールの自身に満ちた表情は月夜に生えて映った。

「大した自信だね」
「あんたは自信がなさそうだな」

 返されて、オキナは静かに俯いた。そして黙り込む。

「オウナが心配してたぜ。ここに来る時は元気だったのに、暫くしてからずっと落ち込んでるって。何か凄ぇモン探しに来たんだろ?」
「ああ、星が造ったものだよ」

 眉をしかめるファルガールに、オキナは“ラスファクト”の事を語って聞かせた。

「先程君はああ言ったが、自信はあるんだよ。必ず“ラスファクト”を見つけだしてみせる」

 そう語るオキナはうつむけていた顔を上げた。

「だったら何でそんな辛気くせぇ顔してんだ?」
「不安なんだよ」
「不安?」
「ああ、“大いなる魔法”の大災厄は知っているだろう?」

 ファルガールは頷いた。

「私は“ラスファクト”と同じく、大災厄も星の産物だと考えている。“ラスファクト”を下手に扱うと大災厄を呼び込んでしまう可能性が大きい」

 事実、最初に“ラスファクト”が発見されたヴァクス山も大災厄に見舞われ、その他“ラスファクト”が見つかった地方でも同じ事が起こり、その後“ラスファクト”は姿を消してしまっている。

「じゃあ、何で探すのを止めねぇんだ?」
「ふふふ、学者の性というやつだよ。どうしても一度“ラスファクト”というやつを拝んでみたいんだ。他の人間も探している。どの道見つからないままには終わるまい」

 ファルガールは呆れたようにため息をついた。人間、自分と違う人種の事はなかなか理解できないものである。
 少しの間の後、ファルガールがポンと手をついた。

「どうかしたのかな?」
「要するにその“ラスファクト”ってのを下手に扱わなきゃ大災厄は起こらねぇんだよな?」
「ああ」
「で、あんたは見つけた後、周りのやつが下手に扱っちまうのを恐れてる?」
「ああ」

 答えを聞いた後、ファルガールは満足そうに頷いて見せた。

「よし、決まりだ」
「……ああ?」

 何がいいたいのか分からなさそうにしているオキナをファルガールがビシッと指差した。

「“ラスファクト”は絶対にあんたが最初に見つけろ。で、他の奴から守り通すんだ。あんたは一度拝んだら十分なんだろ?」

 それはオキナの不安を一気に晴らす明解な解答だった。


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「見つけたのは三ヶ月前だった。それから私は君にいわれた通り、他の学者の目から反らす努力をし続けた。どう扱えばいいのか、研究しながらね。その結論が出たのは昨日、君が現れる直前だった。それに他の学者の目を騙すのもそろそろ限界を感じていたんだ。私が何か知っている事にみんな勘付きはじめている。
 そこに君が現れ、あの話を持ちかけたわけだ。全てのタイミングから考えて、これは運命的としか言い様がない。昨日私は悟ったんだよ。私の研究は、まさにこの為だったんだ、とね」

 オキナはゆっくりと立ち上がった。

「案内しよう。“ラスファクト”への道の入り口へ」

 こうして二人は連れ立って大決闘場の内部に入っていった。

 大決闘場の内部は何層にも重なる回廊で構成されている。その回廊は螺旋状に大決闘場の観客席を巻き、進んでいけばいつの間にか一番上につく仕組みだった。
 その螺旋回廊には全く人気がなく、窓から差し込む月光の他は二人が持つカンテラの光しか光源が見当たらない。

「この町のどこにあるんだ? 入り口とやらは」
「厳密にいうとどこにでもある。この町の水源は疑いの余地もなく“ラスファクト”だ。よって井戸の底の水流を辿っていけば必ず“ラスファクト”に行き着く」

 それを聞いたファルガールの表情は不満に溢れている。

「答えになってねぇぞ」
「悪かった。で、入り口なのだが、それはここにあるんだ」

 ファルガールの不満顔が更に露骨になった。

「本当の話だ。“ラスファクト”への道の入り口はこの大決闘場の地下にある」
「どういう事だ?」

 この大決闘場に地下はないはずである。少なくとも一般に知られている限りでは。だが、誰も建てた覚えがない建物だ。
 だから絶対に無いと言い切れる人間はこの星の上には存在しない。

「私はこの太古より存続しているこの建物は“ラスファクト”と何の関係も無いとはどうしても思えなかったのだよ。太古からの建物は他にもあるが、私はあるならここだと確信していた」
「それでここを徹底的に調べたわけだ」
「ああ、十五年も掛けてな。ある日は石の一つ一つを丹念に調べた。ある日は建物の構造に着目して考え込んだ。また、ある日はこの大決闘場について記述されている古文書を読みあさった」
「……よくやるぜ」

 ファルガールはその学者根性に呆れてため息をつく。否、学者根性だけで実際あるかどうかも分からないものにそこまで時間と手間を掛けられるものではない。
 もし無ければ、あっても他の人間に見つけられれば、自分が注ぎ込んだ全ては無駄になってしまうのだから。
 呆れと尊敬が混ざったファルガールの視線を受け、オキナはニッと笑った。

「しかし、その苦労が大きいほど報われた時には嬉しいものなのだよ。そしてこれが」と、いきなり壁を埋め尽くす石の一つに手の平を当てた。
「エマタ・ケア」と、呪文のようなものを唱えると、その石は輝き出し、その真下に魔法陣らしきものが浮かび上がる。
「私の苦をもってしてもおつりが来る報いだ」

 ファルガールはよく見つけたものだと感心した。この石の位置、入り口を開く手段、呪文、どれをとっても並大抵の事で見つけられるものでは無い。

「その魔法陣に乗れば下まで行き着く。道順は全部ノートに記しておいた。そしてこれもノートに書いてある事だが、一応口頭でも伝えておこう」
「何だ?」
「“ラスファクト”に魔力を触れさせるな。“ラスファクト”は魔力に対して防衛本能を持っている。それに魔力を触れさせると……」
「大災厄って訳か」

 オキナは重々しく頷いた。

「“ラスファクト”が関連したと思われる大災厄の記録を掻き集めて、まとめてみた。大災厄が起こったのは共通して、魔力を使用する検査を行った瞬間だったそうだ。ファルガール、君はこれが何を表していると思う?」

 思っても見なかった質問にファルガールは即答できなかった。しばらく考えてみても答えは浮かび上がってこない。

「大事なポイントは“ラスファクト”に魔力に対する防衛本能が宿っているという事だ」

 オキナがヒントを出してやると、ファルガールは何かが弾けたように顔を上げた。

「つまり、魔力なら“ラスファクト”を壊す事ができる?」

 オキナは頷いて続けた。

「“ラスファクト”を壊せても意味は無いと思うがね、考えようによっては同じ星の産物である“大いなる魔法”に対抗するにはやはり魔力しか無い、という事になる」

 それを聞いたファルガールの表情が一瞬固まる。
 “大いなる魔法”と闘うといっても、彼自身あまり現実性を感じていなかった。
 あの何もかも奪い尽くす大災厄を相手に何をもって制すればよいのか分からなかったからである。
 ところが今、この老人の手によってそれが朧げに見えて来た気がする。
 勿論、自分の魔力など問題にならないほど途方も無く大きな魔力を必要とするだろう。
 しかしそれが分かっただけでも、ファルガールがここに来た意味というものがあった。
 そして“ラスファクト”をこの目で見て感じる事が出来たら、また一つ、何かが分かるかもしれない。

「オキナ」
「何かな?」

 オキナが目を向けると、何とファルガールは突然頭を下げた。

「ありがとう。あんたの十五年は絶対に無駄には終わらせねぇ」

 ファルガールは決して頻繁に人に頭を下げるタイプでは無いので、オキナはそれを見た時、戸惑いを感じた。
 しかし彼に“ラスファクト”の事を教えてくれるように頼んだ時の決意を思うと、この真摯な態度はすぐにオキナに受け入れられた。

「こちらこそありがとう。さあ、行ってくるがいい。君の途方も無い夢を果たす為に」
「ああ!」

 ファルガールは力強く頷くと、魔法陣の上に乗った。たちまち魔法陣から光が溢れ、彼の身体を包み込む。それは足下から消えて行き、そしてファルガールは消えてしまった。
 それを見届けるとオキナは天井を仰ぎ、大きく息を吐き出した。
 それからオキナは家に帰って休もうと家路についた。
 何しろあのノートをまとめていたおかげで昨日は徹夜だったのである。こうして伝えたい事を全て伝え、ファルガールを送り出した今、疲労と睡魔が一気に襲い掛かって来た。

 大決闘場を出たところで三人の男に前を塞がれた。

「あんたがDr.オキナ=バトレアスか?」

 真ん中には大柄でファルガールと同じくらいの年齢であろう男、気のせいかどこかで見た事がある気がする。
 その両側には初老の男と、リクと同じくらいの年齢の男が付き添っている。

「いかにもそうだが私に何か用かね?」
「あんたに少し聞きたい事があるんだ」

 その男の顔は笑みを浮かべていた。
 しかし、ファルガールやリクのそれとは明らかに質の違うものだった。

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